H29/11/29〜釜〜

ちゃす。

 

行きつけの丸亀製麺が茹で釜の故障でお休みだったので、仕方なく他の丸亀製麺へ。少し歩いてでも食べたくなる味。ざるうどん。まさにママの味。優勝です。

 

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我慢できず買ってしまった。今シーズンの銀魂見てないのに。毎回録画するの忘れちゃうんですよね。録ってても見る時間ないですし。残念。

PVでベースの辻村さんが着ていた衣装がとてもかっこよかった。あーゆーのが似合う人間になりたいです。整形しなきゃですね。

そーいえばドロスの新譜も発売だった気が。お金がないのでそのうちTSUTAYAへGOします。

 

話変わりまして。

 

私はツイッターのアカウントが9つほど(うち4つは動いてない)ありまして、そのうちの一つに高校時代の(高学歴の)友人たちと議論をする用のアカウントがあるのですが、そこで道徳の授業の話をしていたのでそのことについて少し。

 

そもそも道徳とは何か。

小学館さんのデジタル大辞泉によると

 

どう‐とく〔ダウ‐〕【道徳】の意味

1 人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。

2 小・中学校で行われる指導の領域の一。昭和33年(1958)教育課程に設けられた。

3 《道と徳を説くところから》老子の学。

 

だそうです。僕が持っていたイメージ通りのものでした。

 

皆さんも小中学生時代にやったであろう道徳の授業ですが、あれをやることによって何か意味があったのだろうか。そもそももともと道徳が備わっている人はいいとして、備わっていない人はそのような話をしたところで道徳が身につくことはないのではないか。

考えてみれば道徳を備えていない人に良い行いの話をしたところでそれが心に響いて行動に移すかと言われればそれは違うと思うし、結局はもともと道徳を持ち合わせた人が確認を行うための作業に過ぎないんじゃないか。

そもそも保護者や教師が持ち合わせている道徳を無理やり子供に教え込むのは道徳的と言えるのか。

 

と様々な論が飛び交うのを僕はいつものところから少し歩いたところにある丸亀製麺でざるうどんをすすりながら眺めていました。正直高次元の会話すぎてついていけませんでした。この人たちと話をすると劣等感を感じるとともにこれくらいの話ができるようになりたいなぁと思ってしまいます。ちなみに全員性格は悪いです。性格面に関してはこいつらよりは絶対に優っています。一つでも優れていることがあるというのは素晴らしいことですよね。いずれこの友人たちの会話に入れるように広い視野と見識を持ちたいと思います。日々勉強です。

 

さて、肝心の道徳論はどうなったかと言いますと自然消滅してしまいました。まあ不毛な議論だと思いますし当然の結果ですよね。

が、やはりこのような議論ができる友人を持てたことは本当に奇跡だと思いますし、中高の六年間を冬は極寒夏は灼熱のクソ盆地でおなじみ八王子市にある学校で過ごしてよかったなーと思いました。

 

出会いに感謝ですね。

 

いい感じにまとまったので今日はこの辺で。

 

とは言いましても日が変わる頃にまた上がると思います。

11月30日は「あの人」の誕生日ですので。